ラブ&ポップ感想2

アマプラで見てからと言うものの何をしていてもこの映画のことが頭にちらつく。どうにもすっきりしない。のでまた書きます。すみません。読んでくださってありがとうございます。細かな感想は前記事参照。
考察を検索していて見かけた「主人公=庵野説」。なるほどなと。確かにそうかもなと。終盤に出てきた2人の男、あれやっぱりマジで「おまいら」だったのかもしれん。旧劇終わって自分(庵野)に暴言を吐くにちゃんねらーのメタファーに見えないこともない。ぬいぐるみ男は主人公に価値があると認めた上で「こんなことしちゃダメなんだよ」「お前のせいで傷ついてるやつがいる」と怒りをぶつけた。死にたかった時、誰かにそう怒られたのかもしれない。そうなると最後ベッドに横たわったシーンの「家族の優しさが鬱陶しい」はパヤオ鈴木敏夫のことだろうか。とかね。
主人公だけじゃなく主要人物それぞれにちょっとずつ庵野の一部が混じってるように感じるんだよな。意図してるのかしてないのか、作れば自然とそうなるのか。よく分からんけど。多分ひとつの表現に明確な意味や意図があるわけではないと思う。実は意味なんかないかもしれない。でも深読みしたくなっちゃうよなオタクだから。
ここから自分語り。10代の頃ネットで知り合った顔も見たことない男とサシで会ったことが結構な回数ある。緊張、不安、期待、待ち合わせ場所に向かうまでのドキドキ。ひりついた精神。この映画を通して久々に思い出した。何でわざわざ時間割いてこんなことしてるんだろうって急に冷静になったり。1回会ってそれきりな人もいる。その会った人の9割、いや10割が自分の「女」の部分を求めているだけだった。非難するつもりはないがネットに顔載せてる10代女とサシで会うのに純粋に友人として楽しみたくて、なんて男は皆無だ。全員ワンチャンを狙っている。それを自分でも分かっていた。相手に一定の好感度を持っていれば拒むこともなかった。全部相手のせいにして「所詮私なんて性欲のはけ口としてしか見られてないんだ」と1人傷付く自傷行為が好きだった。ちやほやされて嬉しいのにいかにも男が悪いみたいな顔をしていつも被害者ヅラだった。自分がした選択なのにずっと心がジュクジュクしていた。それに比べ作中の援交少女たち(主人公除く)は悪びれもなく、カラッとしていて、テキトーな返事しながら高そうなしゃぶしゃぶ食ってて、純粋に「こうありたかったなあ」と羨ましく思った。時代のせいもあるかもしれないけど。
あの時は若さゆえの自傷行為に付き合ってくれてありがとう。お前に言ってんだよ、お前に。

最後に。全然考察と関係ないんですけどホテルの風呂のシーンめちゃくちゃ抜ける。おれの性癖は終わっている